大分・竹田01
少し前、学生時代の友人が住む大分の竹田市を訪ねたのですが、そこでの観光客的、および訪問客的経験から、観光客と訪問客について考えました。
観光客
滞在は1泊2日で、友人は2日目に案内してくれるとのことだったので、1日目は市内の観光を計画しました。
とはいえ、あまりまともに旅程を組んでおらず、また朝早く到着したため駅近くの観光案内所は開いてなかったので、とりあえずGoogleと地元の観光マップから情報を収集しました。
駅前の地図看板にはおすすめの観光ルートまで丁寧に載っていたので、ひとまずそのルートで移動することに。
竹田の中心部は平たんな地形で歩きやすいです。
歩いているとちらほら、地元出身の田能村竹田が描いた南画を紹介するまちかど南画館なるものがありました。
街歩きをするのに、こういうのを巡るのも観光のコンテンツのひとつなんだろうと思います。
ですが、市の中心部はコンパクトとというかこじんまりしているというか、街の観光はあっというまにマップのルートの後半に差し掛かりました。
その時ちょうど竹田創生館という無料の観光案内施設を見つけ、せっかくなので寄ることにしました。
施設のスタッフの方はとても親切で、詳しく街の紹介をしてくれてたんまりとパンフレットもくれました。
話を聞いていると、こじんまりとしていても、竹田にはとても面白い歴史があります。
九州には長崎を中心に広く隠れキリシタンの歴史があるのはよく知られている通りですが、竹田にもキリシタンが潜伏していたのだそうです。
戦後には竹藪の奥の洞窟からキリシタンの礼拝堂が見つかったそう。その礼拝堂がこちら。
ですが、その礼拝堂は武家屋敷の裏にあります。
つまり、位置的には明らかに隠れていたというよりも「隠されていた」と考えるのが自然で、それゆえに竹田では隠れキリシタンではなく「隠しキリシタン」といわれているそうです。
また、竹田の街は難攻不落で名高い岡城の城下町です。
岡城は城ファンの間でも特に人気な城なのだそう。
その岡城にはかまぼこ型の頭をした石垣があって、これは西洋の城壁との類似が指摘されているようです。
これもキリシタンが伝来したのでしょうか。
最後に岡城址まで坂を上って、街中の観光を終わりにしました。
中央の石垣が城跡の端
街中心部はサイズからいっても一日あれば十分に観光できる印象を受けました。
訪問客
2日目の朝、友人の車で朝からラムネ温泉に行きました。
さすが大分はどこに行っても温泉があります。ラムネ温泉は世界屈指の炭酸泉とのことで、長湯すると独特の効能を得られるそうです。飲むこともできますが、少し鉄臭さがあります。
ちなみに、ラムネ温泉の設計を手掛けたのは藤森照信氏です。
竹田に住む友人はこちらに移住して間もないのですが、そこでの仕事の都合からも地元の人に顔が広くて、行く先々で人を紹介してくれました。
温泉の後は、その友人の知人が営むカフェでランチして、友人がよくいく湧き水スポットに行き、また産直センターにもいきました。
その日の移動はほぼ友人の休日そのまんまの経路だったのですが、それは観光とはまったく違う、より深く地元を味わう体験でした。
カフェを営む知人は世界を旅していろいろなレシピも学び、水のきれいなところに店を出すために、竹田の湖畔の脇にお店を出したのだそうです。
カレーのレシピは旅先で出会った人が教えてくれたそうなんですが、スパイスが効いていて、インド風漬物と合わせても美味しいです。
それから湧き水スポット。
竹田の湧き水スポットは結構色んな所に点在しているようなのですが、その湧き水の近くには必ず豆腐屋さんがあるのだそうです。
この時にいった湧き水の近くにある豆腐屋さんは、友人のお気に入りのお店で、店主のおじいちゃんはまだ自分なりの豆腐作りを極めるべく、日々美味しい豆腐の作り方を探っているそうです。
豆腐は柔らかい時もあれば固い時もあるのですが、どっちのときでも美味しいと友人は言います。
次に寄った産直センターでは、友人のまた別の知人が野菜や果物を出している時もあり、今はスイートコーンが甘くて美味しい時期だそうです。
その後、竹田市街地の老舗のお菓子屋さんにいき、また友人がいま住んでいる家を見せてくれて、最後に次引越し予定の家の工事現場にも案内してくれました。
案内してくれたところは、どこも観光では行けないようなところばかりでした。
竹田から出発する電車の時間が近づくと、友人はまだまだ見せたいところがあると言いました。
Googleで調べるだけでは1日で終わってしまう観光も、地元に住む友人の案内があれば1日では終わりません。それはまた別の機会にこの土地を訪れる口実も与えてくれます。
訪問客になること
見知らぬ土地でも、友人のところに訪ねるというのは、観光することと結構違います。
移住してからまだそう長くない友人は隠しキリシタンのことにそこまで詳しく知らなかったのですが、それでも街に住む人とつながっていました。
観光客になって得られるのが「日常にない場所の経験」だとすれば、訪問客になって得られるのは「異なる日常の経験」です。
東浩紀の言葉を借りれば、観光客は場所の経験を通して日常に現れない検索ワードを得るのですが、その一方で訪問客は異なる日常の経験を通して日常に使わない検索エンジンを得る、といえます。
おそらくその検索エンジンはその場所でしか有効ではないのですが、そこに打ち込んだワードの検索結果は日常の検索エンジンの結果と同一にはならないでしょうし、それゆえに訪問客は検索ワードそのものを捉え直すことができるはずです。
それだけではありません。
訪問客は、また同じ街に行く口実を得ることができます。同じところに繰り返し訪れることは、ともすればそこに居場所を作ることにつながり、それは元の日常から距離を隔てたシェルターを作ることといえるかもしれません。
言い換えれば、デフォルトの検索エンジンがおおもとのサーバーの不具合でダウンしたとしても、その圏外にあるシェルターで検索は可能ということです。
そしてまたそのシェルターで築かれるアルゴリズムは、既存の検索エンジンに観光的に加わり拡張するアルゴリズムとは異なり、独自のパターンを蓄積していくのだろうと思われます。