アストリッド・エアル『集合的記憶と想起文化』
山名淳(訳)、水声社、2022年。
書籍目次
第一章 なぜ「記憶」が問題なのか
第二章 集合的記憶の発明
第三章 記憶
第四章 集合的記憶と想起文化
第五章 メディアと記憶
第六章 集合的記憶のメディアとしての文学
第七章 物語論のカテゴリー
基本情報
アストリッド・エアルはユストゥス・リービッヒ大学ギーセンにて2002年に博士(学術)を取得し、現在はゲーテ大学フランクフルト・アム・マインの英米文化研究所教授を務めています。研究分野は19~20世紀に焦点を当てた文学史、映画と写真を中心としたメディア史、英文学、比較文学、文化理論、メディア論、物語論、比較文化論、記憶研究です*1。ドイツのメモリースタディーズにおいてアライダ・アスマンらに次ぐ世代をけん引するとされています*2。
概要
本書では「文化と記憶の関連」*3を対象に「文化科学における記憶研究——その歴史および今日における発展、また国際的かつ学際的な諸次元——について一つの鳥観図を提供する」*4ことが目指されています。
記憶研究
第一章では本書における導入として、本書における記憶研究の前提が整理されています。エアルによれば「記憶」および「想起」は今日学際的なテーマとして国際的な関心を集めており、このように記憶論の存在感が高まる理由は、大抵の場合は次の要素に還元されます。つまり、第二次世界大戦やホロコーストを体験した世代がいなくなりつつあるということ(「歴史の変換過程」)、インターネット等のデジタル技術の発達により大量のデータの保管が可能となり、多様なメディアによって表現されるようになっていること(「メディア技術の転換およびメディア作用」)、一枚岩的な歴史がポストモダン歴史哲学やポスト構造主義によって掘り崩されたことで、歴史に対する学問的関心が文化科学によってポストモダン的理論形成の考察に統合されていることに加え、諸文化科学が「想起と記憶」という領域に焦点を当てることでその学問的な正当性を維持することができるということ(「精神史的および科学史的な次元」)です*5。
また、エアルはここで本書に用いられる用語についても整理しています。まず「集合的記憶」という概念について、これは「個人の意識過程、神話、建築物、記念碑論争、自伝、親族における写真」といった多様な対象を扱う考察を同一の主導概念のもとに集約するのではないかという批判がありますが、エアルはこの危険を認識したうえで、この研究が「「以前には不一致しか認められなかった地点において新たな問題連関を可視化する」卓越した戦略」*6であるとして、次のように定義します。すなわち、それは「生物的な、心理的な、メディア的な、そして社会的な諸事象の上位概念であり、そうした諸事象の意味は過去、現在、未来が文化のそれぞれの文脈に応じて相互に作用し合うことによって獲得され」ます*7。これは歴史の「代案」や「別物」ではなく、「そうしたさまざまな文化的現象が生じる文脈全体である」とされますが、この広義の定義は「概念上および構想上の分化を施すことが不可欠」であり、その分化を発展させることが記憶研究の課題の一つとされます*8。また、「記憶」、「想起」、「忘却」という概念についても整理されており、それによれば「記憶」とは「一つの能力あるいは可変的な構造」であり、「ただ具体的で完全に特定の社会文化的な文脈のもとに置かれた想起活動の調査によってのみ、記憶の性質および機能の仕方についての仮説を導くことができる」とされています*9。「想起」は、「主観的で、きわめて選択的で、それが引き起こされる状況に左右されるような再構成的活動」で、「想起すること」は「手持ちのデータを組み合わせる(re-member)という、現在において遂行される操作」とされますが、一方で「忘却」は「(文化的な)想起の前提」とされます*10。
集合的想起
第二章では「集合的想起」という概念の学問上の変遷が概観されます。まず、記憶研究の「伝統的な二つの系列」*11の起点となる1920年代におけるモーリス・アルヴァックスの社会学的研究とアビ・ヴァールブルグの図像記憶に関する文化史的取り組みが取り上げられます。エアルはアルヴァックスの研究について三つの領域に分類しています。すなわち、第一に個人の記憶における社会的枠組みについての理論、第二に世代間において形成される記憶についての理論、第三に集合的記憶概念を拡張した文化的知識の伝承に関する理論です*12。第二の世代記憶について、その事例には「家族、宗教グループ、そして社会階級」が含まれ、特に家族の記憶は典型的な世代記憶であるとされており、その担い手は「家族生活の経験地平を分かち合う家族の全構成員です。そうした集合的記憶は社会的な相互作用(共同の行為とそこで分かち合われる経験)やコミュニケーション(過去を何度も繰り返して再構築する共同の営み)を通して構成され」ます*13。つまり、家族内の行事等におけるコミュニケーションを通して、第二世代以降は実際に体験していない記憶を共有することになり、その共有できる記憶は最年長者が想起する記憶までとなります。
次に、アビ・ヴァールブルクについて、エアルによれば、ヴァールブルクは「古代の情念が表出している」図像による集合的な記憶を構想しており、それを「社会的記憶」とも呼んでいますが、この社会的記憶に深く結びつけられているのが「道徳的な問題」、つまり創作活動において芸術家が伝承された図像記憶からどの程度「古代のシンボル」を受け入れ、また自己主張を含むものとして表現するのかという問題です*14。そのような調整をもって作られた芸術作品について、「文化的な象徴表現の継承と再解釈が時代や場所ごとにどのような特色を有していたかを追究することによって、文化の精神的な次元を推し量ることができる」と考えられました*15)。エアルによれば、アルヴァックスが理論を重視していたのに対して、ヴァールブルクは「帰納的に素材から出発」する点で根本的に違いがありますが、その一方で「文化とその伝承が人間による活動の産物である」とする点は共通していました*16。
アルヴァックスとヴァールブルクの研究から時を経て再び記憶研究に光が当てられたのは1980年代になってからで、その際に国際的に影響力を持ったピエール・ノラによる「記憶の場」と、ドイツ語圏で最も影響力のあるアライダ・アスマンとヤン・アスマンが提示した「文化的記憶」の概念が次に整理されます。ピエール・ノラの「記憶の場」は、エアルによれば、「古代における想起技術の伝統にもとづいて、フランスの国民国家という想起イメージを呼び起こす広義の場所(loci)として理解され」、「地理的な場、建築物、モニュメント、哲学や科学の文書、あるいは象徴的な行為などが含まれ」ますが、これはアルヴァックスが指摘する「集合的記憶」を構成するものではありません*17。エアルによれば、むしろそのような集合的記憶が残っていないからこそ、ノラは「記憶の場」を考察対象としたのです*18。ノラによって1984年から1992年にかけて編集された7巻に渡る『記憶の場』に収められた「フランス文化の諸要素に関する一連の論文」は、「ある共同の過去のためのものでありながら、それぞれの多様性が関連し合って想起の全体像を生み出すというようなもの」ではなかったため、エアルはこの「記憶の場」が「フランスの過去を想起する側面を有すると同時に、常に生ける記憶がそこにはないということをも指し示すような記号」であると指摘しています*19。なお、エアルは「記憶の場と呼ぶために充たさなければならない条件」としてノラによって区別された三つの次元、すなわち物的な次元(「記憶の場には広義の文化的な客体物がある。」)、機能的な次元(「記憶の場としての客体物は社会において何らかの機能を満たしている。」)、象徴的な次元(「記憶の場としての客体物は、そうした機能とは別に象徴的な意味を有している。」)をまとめていますが、このような記憶の場における定義は『記憶の場』の編纂の過程で構成し直されたことも付記しています。ノラの「記憶の場」はそれが「想起の歴史を主題とする歴史記述の傑出した事例」であったことから、その他の国々においても評価され研究プロジェクトが開始された一方で、それが歴史と記憶を厳格に区別していることや、フランスにおける国民国家の想起という概念を重視するばかりで植民地や外国人移住者の想起を同様に扱わなかったこと、またこの「記憶の場」の定義ではあらゆることがその対象になりうることなど、様々な批判が起こりました*20。この定義についていえば、そのような錯綜状態に「整序の道を切り開いた人物の一人」がアライダ・アスマンとされます*21。
ヤン・アスマンとアライダ・アスマンは日常的なコミュニケーションに基づいた集合的記憶(「コミュニケーション的記憶」)と象徴的な文化的オブジェクトに支えられた集合的記憶(「文化的記憶」)を区別した「記憶的枠組み」を提起し、「コミュニケーション的記憶」が「常に「関係する人びとが行き交う」ことのできるおおよそ八〇年から一〇〇年程度の限定された時間地平にのみかかわっている」のに対し、「文化的記憶」概念にはその特定の社会集団がアイデンティティを導出することができ(「アイデンティティの具体性」)、現在との関係において構成することができ(「再構成性」)、表現形態と表現媒体を結合することで「想起スタイル」を形成することができ(「形態性」)、制度化することでその制度化を担う人々を専門化することができ(「組織性」)、ある社会集団のうちに特定の「明確な価値観や関連付けの傾向」を生じさせることができ(「結束性」)、またその集団そのものを省察することができる(「省察性」)とされます*22。アライダ・アスマンはこの「文化的記憶」の概念をさらに「まとまりのある歴史を構成する「意味を蓄えた諸要素」から成り立」ち現在を方向付ける「機能的記憶」と、一定の意味においてまとめられることのない断片的な「不定形のかたまり」としての「蓄積的記憶」に区別しており、それらを「前景」にある「機能的記憶」と「後景」から浮き立つ「蓄積的記憶」という「遠近法的」関係においてみています*23。エアルは、この機能的記憶と蓄積的記憶の区別によって「文化的記憶の変化の可能性及びその過程が説明可能になる」といいます*24。というのは、その時代や社会において有意味である蓄積的記憶の諸要素は、意味連関の一部としてその都度拾い上げられるからです。
アスマンらに続く記憶研究の主な取り組みとして、1997年から2008年までユストゥス・リービッヒ大学ギーセンの特別研究センター434で約100人に及ぶ研究者が参加して実施された「さまざまな想起文化(Erinnerungskulturen)」における研究プロジェクトが取り上げられており、これは「静的で超歴史的であることを主な特徴とする」アスマンによる文化的記憶のモデルに対置して、「文化的な想起の力動性、創造性、過程性、そして何よりも文化的な想起の複数性」が前面に押し出され、「文化的な想起過程を記述するためのモデルが作成されてい」ます*25。
記憶研究の拡大
第三章では、学際的なテーマとして扱われるようになった記憶について、各学問分野における記憶へのアプロ―チの仕方と、そのネットワークの可能性について言及されています。最初に取り上げられるのは歴史学における記憶についてで、歴史学において中心的に問われたのは「歴史記述それ自体が集合的な想起の一形態ではないか」ということ、言い換えると歴史記述が既に特定の視点において意味付けられているということが問題となりました*26。社会科学においては、「社会的記憶研究」と呼ばれる分野において、主に「社会は如何に記憶するか」という問いを中心として、過去の表象の実践に内包された「社会的文脈」と関連付けて記述することが問題となっています*27。また、21世紀以降は芸術学と文学においてひとつの「記憶ブームが生じたことが認められる」とエアルは指摘しており、それによれば、この関連の研究は古代の記憶術の意義を探るもの(「文学史の対象としての<記憶術(ars memoriae)>」)、文学におけるテクスト間の相互関係や常套表現を対象として文学という象徴システムの記憶を考察するもの(「文学の記憶Ⅰ」)、正典化のメカニズムや過程を対象として文学という社会システムの機能の仕方を考察するもの(「文革の記憶Ⅱ」)、記憶の観念をフィクションという媒体において再編成することでその文化的な知識を的確に把握させるための「文学的演出」を対象としたもの(「文学のなかの記憶」)、文学、メディア性、想起の関連に注目したもの(「文学と記憶のメディア性」)という五つの側面に区別されます*28。
次に、心理学においては、記憶研究は高度に発展し、また広範に分化しています*29。1960年代以降コンピュータが記憶に関する主なメタファーとなり、「想起すること」は「情報の符号化、貯蔵、検索」の三段階において考察され、1970年代以降には超短期記憶、短期記憶、長期記憶として区別されるような記憶システムが発達し、それが現代において主には「学習され、象徴的に表象された知」としての「意味記憶」と「時間と文脈に関連付けられた記憶」としての「エピソード記憶」からなる「顕在(直接的)記憶システム」と、「自動的で意識的な反省をともなわない行動」を可能にする「手続き記憶」と「以前に意識されないままに知覚された刺激を再び認識する可能性と結びつい」た「プライミング」記憶からなる「潜在記憶システム」が区別されています*30。また、1990年代以降は心理学と文化科学の統合的な記憶研究が取り組まれており、たとえば「個人を超えた記憶形成の包括的な心理学モデル」としてウィリアム・ハートとデイヴィッド・マニエによって提示されたのは、ある社会集団の構成員が経験を共有していることを想起すること(「集合的なエピソード記憶」)、自らが経験したのではない歴史的出来事を想起すること(「集合的な意味記憶」)、個人によって無意識化で実行され継承される伝統と儀礼(「集合的な手続き記憶」)の区分です*31。また、近年には「個人的な記憶」から「集合的な記憶」への「記憶の統合」に関する研究がなされています*32。
記憶研究の主要概念
第四章においては、記憶研究の主要概念に対する批判的検討が行われます。集合的記憶の概念に対する批判のひとつは、集合的記憶というものが実際には存在しておらず、それがメタファーに過ぎないというものです*33。集合的記憶の比喩の方法に関していえば、それは基本的に「メタファーとして」の使用と「メトニミーとして」の使用に分けられるとされ、エアルはさらにジェフリー・オーリックの提起した区別を援用して、メタファーとしての集合的記憶を「過去に共同でかかわるシンボル、メディア、社会的な機関・施設および実践」である「(狭義の)<集合的記憶>」とし、メトニミーとしての集合的記憶を「社会的・文化的な影響を受けた個人の記憶」である「<集められた記憶>」として区別しています*34。これらはそれぞれ単独では検討することができず、「相互の接合によって初めて把握され」ます*35。この「<集められた記憶>」は上述の「顕在的システム」や「潜在的システム」の区分からさらに社会心理学者らによって、「集合エピソード的」、「集合意味的」、「集合手続き的」という、個人の想起における社会文化的な部分の区分に改変されますが、エアルはこの区分を参照して想起文化における「文化的記憶システム」における同様の区分を導入して整理しており、それによると、ある共通の過去を集合的に表象するシステム(「文化自伝的システム」)、文化的知を構築して蓄積する方法としてのシステム(「文化意味システム」)、蓄積された知とその表現形態とを無意識的に反復するシステム(「文化手続きシステム」)に区分されます*36。
次に、ヤン・アスマンとアライダ・アスマンによって提起された「コミュニケーション的記憶」と「文化的記憶」が詳細に検討されます。エアルによれば、「コミュニケーション的記憶」は「文化的記憶」との境界を示す役割を果たしていますが高い精度でもって理論化されているわけではなく、これらは時間地平に基づく、アスマンが「時間構造」と名づけた「区分基準」に基づいているとされますが、エアルはこの区別について、そうした「測定可能な時間ではなく、すなわち想起を行う現在と想起された出来事との時間的な隔たり」に基づくのではないとしています*37。というのは、同一の歴史的出来事がいずれの記憶の対象にもなり得る場合があり、それらは「物的あるいは社会的な現象」に基づいて区別することができないからです*38。エアルは、文化的記憶が共同体における「結束力の強い意味を生成」し、また「非常に大きな想起の共同体(宗教集団や社会など)にとって通常必要とされる意味を生成」することから、その区別基準はむしろ「想起されたものの意味やそうした意味を時間過程に埋め込むことに関する集合的なイメージ」であるとして、それは「時間構造(普遍的かつ測定可能な観察者のカテゴリー)にではなく、時間意識(文化の心的領域における文化的にも歴史的にも変動する現象)に基づく」としています*39。言い換えると、「コミュニケーション的記憶」の想起は過去の出来事が「社会的な「近地平」」に位置していることを意味し、一方で「文化的記憶」の想起はそれが「文化的な「遠地平」」にあることを意味しています*40。これに加えて、エアルはこのような「想起文化現象」を複数形で扱うことで、それが「文化形態を支配する」メディアや制度の「複合体」を意味するとしており、とりわけ「文化的記憶」の複数性においては、その個々の文化的記憶が「ヘゲモニーを目指す」という特徴が示され、「文化的記憶は想起をめぐる利害と闘争という緊張領域を常に動いている」とされています*41。この複数性においては、いずれの記憶も静的ではなく、想起における「記号化と脱記号化の絶えざる過程に新たなタイプの文化的経験が絶えず繰り返し追加される」ことになります*42。アスマンが提起した蓄積的記憶と機能的記憶の区分はここにおいても用いられており、つまり文化的記憶は想起された対象の再解釈によって変容し、蓄積的記憶からある要素が前景へと浮上し、あるいは機能的記憶において意味を失った要素は蓄積的記憶へと「忘却」されることになります*43。
「忘却」について、アライダ・アスマンによる「能動的な忘却と受動的な忘却」といった整理が紹介されていますが、エアルは「想起することと想起しないこと」の相互作用がより重要であり、そのような定式化がより正確であると主張しています*44。この「想起することとしないこと」について、その相互依存性における「フレーミングと沈黙」という二つの特徴を示すことで説明されています。「フレーミング」というのは、ある情報に意味付けがされていないために想起することができない過程を意味しており、また「沈黙」は、ある特定の情報を想起する際に、その情報に近い位置にあるゆえに想起を妨害する可能性のある情報が忘却される過程を意味しており、たとえばナチズムにおけるホロコーストを想起する文化において、「ヘレロ・ナマクワ虐殺」*45が度々忘却されていることの理由として考えられるとされています*46。
また、神経科学において脳を観察した結果、未来への想像は過去の体験を想起する場合と同一の神経や認知過程に基づいていることが指摘されたことから、近年は「未来」という主題に記憶研究の関心が集まっており、「<過去の可能性>(past potentialities)」の蓄積がこの分野の課題となるとされています*47。
メディアと記憶
第五章ではメディアと記憶が扱われており、メディアをなくして集合的記憶を考察することができない、という主張から始められています。つまり、メディアが媒介しているかに見える記憶は実はメディアによって生成されていることが多く、「個人はただコミュニケーションやメディアの受容を通してのみ、社会構造の知識体系やスキーマに接近することができる」のです*48。そして集団的想起の形態において重要な転換点となってきたのが、口述から筆記へ、また筆記から印刷、印刷からインターネットへの移行であることが示唆されています。すなわち、メディアにおける大規模な革新が集合的想起の形態を変容させることもある一方では、「想起文化の挑戦が新たなメディア技術の発生をもたらしたり、また何よりその受容や普及をもたらすこともある」ということです*49。このような想起文化におけるメディアの機能は、エアルによって三つの側面に区別されており、すなわち「蓄積機能、循環機能、検索機能」です*50。集合的記憶の内容や対象を利用可能な状態にしておくというのがメディアの蓄積的機能ですが、これは時間の経過に伴って崩壊する危機にもさらされているのであり、その「象徴的意味を読み取ることのできなくなったモニュメントなどは、想起文化としては死物」となります*51。また、メディアはそのような時間経過のみならず空間をも超えて文化的なコミュニケーションを可能にするのであり、それが「循環機能」ですが、「蓄積機能」を有するメディアはそれ自体が想起の対象となる場合があるのに対して、「循環機能」にはそのような二重性がないという点で「蓄積機能」から区別されるとも指摘されています*52。「検索機能」とは、想起の過程を進行させる「手掛かり」であり、「とくに想起の共同体によって具体的な過去のバージョンと結びつけられた場所や風景」がそのような機能を果たしています*53。
これらの機能をもつメディアが制作されるとき、その想起される出来事がメディア化する、という絶え間ない運動に注目する必要がありますが、そのような試みに適合するのはデイヴィッド・ポルターとリチャード・グルーシンが導入した「リメディエーション」という概念です*54。これは「メディア化のあらゆる行為はそれに先立つメディア化の行為に基づいている」とする考え方によっており、したがってこの概念について考察をすることは「あらゆる(新しい)メディア技術の根底にある通時的な力動性を注視すること」であるとされています*55。他方で、エアルは「プレメディエーション」という概念も提起しており、これは「既存の文脈を循環しているメディアが未来の経験にとってのスキーマを提供するということを意味」しており、この「プレメディエーションとリメディエーションという二重の力動性によって、すなわち集合的記憶の常套表現、イコン、叙述をメディアがあらかじめ形成し(Präformation)、また繰り返し再提示すること(Re-Präformation)によって個人が過去を表象することは、常にメディアによる文化的な想起の歴史に関連付けられる」とされます*56。
文学と記憶
第六章においては、メディアの中でもとくに記憶研究において特権的な位置を占める文学について検討されます。エアルによれば、文学はその他のメディアにおける記憶の手法と多くが重なり合っていますが、一方で「他の記憶メディアとは明らかに一線を画するようなシンボル・システム特有の性質に基づいて、意味の提供を行ってい」ます*57。エアルは想起文化と文学の関係をポール・リクールが文学世界の生成における表現段階を区別した「ミメーシス圏」というモデルに即して説明しており、それによれば、文学は想起文化における記憶を選択的に参照して(「先形象化」)それを物語として統合する(「統合形象化」)のですが、それだけでなく、想起文化においては統合的な記憶を選択的な物語に再変換することも起こるのであり、またそれらが文学の読者によって意味を付与されること(「再形象化」)によって、テクストの解釈だけでなく、読者の「現実知覚」、「文化実践」や、読者の「現実そのもの」をも変容させるのです*58。また、「統合形象化」の段階について、文学の虚構性は「選択された諸要素の存在論的な状態を変容させる」のであり、つまり集合的記憶の諸要素を「融合」し、「新たな構造化や再構造化を行う」のですが、その際には「既存の構造もまた新たな要素によって改善されて再解釈される」のです*59。このような文学テクストの虚構性は読者にあたかも直接過去を観察しているかのような錯覚を与えますが、「読者はそのような過去のバージョンを文学というメディアによって構成する戦略に注目することもできる」のであり、現実に対してそれらの二つの視点が共存していることこそが文学や芸術の「特殊な遂行能力である」とされます*60。
物語論
最後に、第七章においては物語論から集合的記憶のメディアとしての文学にアプローチされます。ここで紹介される「集合的記憶のレトリック」と呼ばれる戦略は、それを特徴づける複数あるモードのうちの五つです。すなわち、日常におけるコミュニケーション記憶の対象として現れる語り(「経験型モード」)、文化や国家を横断する意味地平で結束力を発揮する対象として現れる表現(「モニュメント型モード」)、完結した過去の一部あるいは学術的な歴史記述として現れる表現(「歴史化モード」)、文学を通して行われる想起の抗争としての表現(「闘争型モード」)、読者が読みながらその客観的な観察へと参与することができる表現(「省察型モード」)です*61。このレトリックにおいて用いられるのは、単一のモードよりも複数のモードの「組み合わせ」によっていることが多く、「それぞれの特徴および相互の組み合わせ方によって文学の想起文化としての機能を多様化させている」のです*62。
感想
以上のエアルによる議論は、記憶研究をめぐる議論を概観するものであり、エアル自身は文学における記憶論を特に重視している印象もありますが、ひとつの結論を見出すにはあまりに多方面へと具体的な議論が展開されています。その点からも本書は記憶研究における具体的な入門を果たす指南書といえます。
*1:ゲーテ大学フランクフルト・アム・マインホームページ(最終閲覧:2022年11月9日)を参照。
*2:333頁、訳者あとがきより。
*3:31頁。
*4:33頁。
*5:26-27頁。
*6:28-29頁。
*7:29頁。
*8:30頁。
*9:同上。
*10:31頁。
*11:35頁。
*12:37-41頁。
*13:39頁。
*14:42-43頁。
*15:43-44頁。
*16:44頁。
*17:46頁。
*18:同上。
*19:46-47頁。
*20:48-49頁。
*21:49頁。
*22:50-52頁。
*23:55-56頁。
*24:56頁。
*25:58-59頁。
*26:65頁。
*27:80頁。
*28:85-104頁。
*29:105頁。
*30:106-108頁。
*31:114-117頁。
*32:117頁。
*33:120頁。
*34:120-122頁。
*35:125頁。
*36:129-132頁。
*37:137 -142頁。
*38:140頁。
*39:142頁。
*40:143頁。
*41:144-145頁。
*42:145-146頁。
*43:146頁。
*44:149-150頁。
*45:1904年から1908年にかけてドイツ領南西アフリカにおいてドイツ帝国によって行われた虐殺行為のこと。
*46:150-151頁。
*47:151-153頁。
*48:168頁。
*49:174頁。
*50:181頁。
*51:182頁。
*52:同上。
*53:183頁。
*54:198頁。
*55:199頁。
*56:202頁。
*57:210頁。
*58:210-213頁。
*59:212-213頁。
*60:230頁。
*61:232-254頁。
*62:254頁。