ガーデンネックレス横浜2019
バラが咲き誇る庭園の入口には「作業中につき立ち入り禁止」とあります。
「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」という芭蕉の句が浮かんだのですが、横浜の港の見える丘公園というところにあるイングリッシュガーデンがバラの見ごろだということで朝早く家を出て見に行ったにも関わらず、薬剤散布のため入れませんでした。
この芭蕉の句、霧で見えなくとも心に思い描くことで富士山の眺望が楽しめるということで、このイングリッシュガーデンで咲き乱れるバラの花もまた、心に描けば楽しむことも出来るんだろうか、と思ったのですが、どうもそうはいきません。
このまち歩きのスタートになる元町・中華街駅に着いたのは朝7時半で、多くの中学生が駅から学校に向っていました。
元町・中華街駅の上には横浜で唯一の立体公園であるアメリカ山公園があり、ここからバラの花は港の見える丘公園、山下公園へと断続的に繋げられて咲いているそうです。
これがガーデンネックレスと言われているんですが、これは明らかに米国の造園家であるフレデリック・ロー・オルムステッドがボストンで計画したエメラルドネックレスのアイデアをパクったのだと思います。
ちなみに、オルムステッドはニューヨークのセントラルパークも手掛けていて、米国を代表する近代造園の祖といわれています。
そのオルムステッドのエメラルドネックレスで主柱となった「生態系と福祉」、「環境再生」、そして「包括的計画」の考えはこのガーデンネックレスにも活かされているか、なんてことも考えながら歩きました。
まずアメリカ山公園から出発しました。
駅の出口から公園の正門まで2本の道に分かれ、1本は遠回りですがバラのアーチの道にも繋がるのですが、歩行者はもっぱらもう一方の正門に近い道を歩いていきます。
都市計画に関して「最短経路志向」という歩行者特性が明らかにされた論文を読んだことがありますが、季節的とはいえ馴染んでしまったら、バラの咲く華やかな道も些細な景色の一片に過ぎないのかもしれません。
スペクタクルな世界を演出するための園芸が断片化されえしまえば、充分にそれは発揮されないのは自明のことのようにも思われます。
前日の大雨に散ってしまった花びらを残念に思いながら、一方でその落ちた花びらにもまた良さを感じながら、港の見える丘公園へ向かいました。
ところが、その途上にある横浜地方気象台にも小さなバラアーチがありました。
断続的とはいえ、バラのネックレスは続いているのです。
ですが、ネックレスよりも塊がはっきりとしていて、その塊がか細い糸に繋げられる数珠的な印象も受けます。
気象台の向かいにある岩崎博物館でもバラが咲いていました。
洋風建築のためか、建物との相性も良く見えます。
このバラは建物の壁を上るように咲いていて、下から見ると迫力があります。
バラをはじめとした派手な色合いの花は、観光的にとても強力だと改めて思います。
そして港の見える丘公園に到着しました。
外から見ても、華やかなことこの上ありません。
そしてここにはイングリッシュガーデンがあります。
一体どんな風に咲き誇っているんだろう、と足早に入口に向かったところで目に入ったのが入場門の前に下げられた立ち入り禁止の掲示でした。
私の後に来て、その掲示をみた年配の女性もがっくりしていました。
このイングリッシュガーデンは3地区に分かれている様ですが、どれも閉まっていました。
ですが、芭蕉の様に思い巡らす人も少なく、ロープを越えて侵入する人もちらほらいます。
禁忌を冒してもなお、心に描き出すことなくその目で見る。
観光客は心に描かず写真に残すのです。
僅かに薬剤の噴霧が写真左方に見えます。
ところで、薬剤散布のローズガーデンというのは、美しく咲き誇るバラの園が普段見せない恥ずかしい一面を遠目に見ている様でまた妙な気分になりました。
早朝の人数も疎らな時間にローズガーデンは秘密の手入れをします。それもまた、外部と切断された小さな庭世界の中で。
フランス山地区へ渡ると、ここにもバラではないが花が咲いています。
ふと覗きこむと、茂みの中には猫が身を潜めています。
猫は花の美しさには関心を持たないのです。
歩道橋の上から、山下公園に接する道路の青々しい銀杏並木が見えました。
初夏を感じます。
そこからすぐに山下公園端のバラアーチに辿り着きました。
山下公園に着きました。
バラ園は公園中央にあり、細長い公園の端にあるこのバラアーチからは少し歩きます。
ところどころ、昨日の雨の跡が残っていました。
そして、バラ園に到着しました。
圧倒的に咲き乱れる花々が楽園を演出しているかのようです。
ここも昨日の雨で花が散っていましたが、それよりも咲き乱れるカラフルな花々に来訪客のレンズが向かいます。
ですが、それは満足に写しきることができません。
楽園のくつろぎを満喫している様な多幸感が溢れるのですが、同時にそれを表現しきれないもどかしさを感じている様な気分です。
これほど目立って美々しいガーデンには、さすがに少々の遠回りでも寄ってみたいと思えるような引力があります。
バラ園から更に隣接する噴水のある広場側にかけて花の植栽が続いていました。
こちらも手入れはされているものの、イングリッシュガーデンの様な立入禁止標識は見当たりません。
公開性の高いバラ園は内外にかけて続く花々の連なりを持ち、このガーデンネックレスの強度の連続性は滑らかな抑揚を持ちながらこのバラ園で一度頂点を迎えます。
そのまま港の見える丘公園のフランス山地区に向かう道まで連なりの強度は低く推移し、改めてイングリッシュガーデンで2度目の頂点に向かうのですが、それは滑らかな盛り上がりではなく、早朝には来訪者の侵入を禁止する角張った出っ張りでした。
そもそもガーデンgardenという単語の成り立ちはガードguardされたエデンedenに由来するそうです。
また、同様に園を表わす漢字で果樹園の意味合いを持つ「囿」や、農園の意味合いを持つ「圃」といういずれの漢字も国構えに囲まれており、つまり園とは外部から区切られた特定の場所における限られた楽園を意味しています。
そう考えると、角張った出っ張りは園的ですが、その一方では山下公園のバラ園はむしろ庭的な印象があります。
「庭」という漢字は元来は神聖な儀式を執り行う広く平坦な場を意味していて、儀式によってその庭の木々に神々が降り立ってくるのだそうです。
消費対象として過度に観光的なバラ園には物神が宿っているのでしょうが、それだけでなく滑らかな盛り上がりの頂きには神々が降り立っているのかもしれません。
オルムステッドのエメラルドネックレスの思想から考えると、このガーデンネックレスも包括的に計画されてはいる様ですが、一方では生態系や環境再生への取組は弱く、このガーデンネックレスはより観光的な意味合いが強いといえます。
つまり、そのコンセプトは来訪者の増加と経済効果により視点が向いています。
それはガーデンネックレスの途上にある飲食店や店舗の紹介がガイドブックに掲載されていることからも明らかです。
とはいえ、オルムステッドの時代の様に広域的な都市計画を一方的に実現することも現代的には難しいでしょう。
それはむしろ観光的にこそ可能なのかもしれません。
ですが、オルムステッドが土地の原石に磨きをかけて輝きを持たせるという意味を込めて「エメラルドネックレス」と名付けたのだとしたら、このガーデンネックレスはネックレスというよりも季節的なものを繋いで作り込む「吊るし飾り」に近いといえます。
つまり、元来神聖な場としてより天界に近い位置にあった庭が天から吊り下がって連なりを成している様な、季節の吊るし飾りです。
そうするとガーデンネックレスではなく、ハングドガーデンズとでも呼ぶ方がまだしっくりと来るんではないかと思われます。