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アライダ・アスマン『想起の文化』

安川晴基訳、岩波書店、2019年。


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書籍目次

忘却、黙殺、想起
第一章 記憶研究の諸問題
第二章 ドイツ人の家族の記憶を作ること
第三章 ドイツの想起の文化の諸問題

ドイツの想起の文化の実践領域
第四章 ドイツの二つの独裁制の想起
第五章 移民社会の中での想起

トランスナショナルな視点
第六章 被害者競争
第七章 トラウマ的過去と付き合うための四つのモデル

基本情報

アライダ・アスマンは、コンスタンツ大学名誉教授です。専門とするのは英語文学・一般文学ですが、その研究内容は歴史人類学、メディア論、記号論などにわたります。

概要

本書では、第二次世界大戦ホロコーストを経験した生き証人が過ぎ去る現代において、一方ではその世代が交代するゆえに、他方ではグローバルにつながる時代において国家への帰属意識に揺らぎが生じているために、想起の文化に対する不快感が漂っており、そのような現代において「想起をめぐる言説を、ドイツの内向きの議論から今一歩外に向けて解き放し、想起の意義とみらいについてトランスナショナルな視点で」問うことが目指されています*1

記憶研究の諸問題

第一章では、記憶研究の諸問題に目が向けられており、個人的記憶と集合的記憶の区別や歴史と記憶の区別に関する議論を中心に扱われています。ここでのアスマンの議論は、ラインハルト・コゼレックによる集合的記憶の想起に関する批判に対する応答としてみることができます。コゼレックは、歴史における真実は否認されてはならず、むしろそうされることもできないため、個人の思い出の上に立ち上がるいかなる集合性も歴史の真実にはなり得ない、それはただ「イデオロギーか神話」に過ぎず、イデオロギーでも神話でもないのは「歴史学の批判を通過した思い出」だけだと主張します*2。つまり、個人的記憶と集合的記憶を混同するべきではなく、また集合的記憶は歴史の真実を示すのではなく単にイデオロギーに過ぎないと批判するのです。アスマンはこの批判に対し、「人間はばらばらの個人としてのみならず、文化的経験、歴史的刻印、社会的中世の絆で束ねられた集団の中でも生きている」*3と応じ、そのような考えを起点にすることで、過去の重荷に向き合うことができ、「現在において、未来のためにともに目標を設定する」ことが可能になり、集合的記憶は「象徴的な構築物を表わすようになる」といいます*4。また、想起にはアイデンティティが関係しています。というのも、個人はそのアイデンティティをその歴史から導出しようとし、それはしばしば「集合的な記念」にも結び付くものであり、したがって、個人の想起が「集合的アイデンティティの前提となる」からです*5

アスマンはこの他にも無数に散見される「想起の文化」に対する不快感を整理するため、この「想起の文化」の概念について次の三つの意味から定義づけています。それによると、第一には「過去」は今日において歴史学を中心とする分野の専門家たちの領域からより広い分野から関心を集めており、それは「過去へのアプローチが多元化して強まったこと」を意味し、第二にはある社会集団がその過去を用いてアイデンティティを強化するように、その過去を「自分たちのものにすること」を意味し、第三にはある社会集団が罪を犯した過去に「批判的に取り組むこと」、したがって倫理的な想起における文化を意味します*6

家族の記憶

第二章では「家族の記憶」が主題とされ、映画作品が読み解かれます。まず参照されるのは2013年3月に放映されたテレビ映画三部作『我らの母たち、我らの父たち』*7です。これは「両親の人生から思い出を取り出して加工し」た映画であり、この加工の過程を経て「両親の思い出は後続世代の<解釈の支配権>に移管され」ます*8。そのため、家族のコミュニケーションにおいて沈黙されてきた「両親の思い出」は、この映画を通して、その後続世代によって包み隠さずありのまま描かれます。つまり、戦争にトラウマを抱えた第一世代による戦争の過去に対する沈黙を破り、第二世代以降に「<事実はどうだったのか>を示すような物語を提供することを目的としてい」ました*9。ここで、アスマンはこの第一世代の「沈黙」がいかに基礎づけられてきたかに着目します。第一世代が沈黙してきた事柄とは、社会的に隠されてきた機密の事柄ではなく、数百万人のドイツ人が経験した、誰もが知っていたことであり、彼らは過去の罪を咎めて捨象したアイデンティティ固執するのではなく、未来を向いて新たなチャンスにすがり自らの地位を復権することを目指しました*10。それゆえに、戦後の社会的な統合は速やかになされたが、長い目で見れば後続世代においても明らかに利にはなりませんでした*11。「社会の統合が進む一方で、家族に亀裂が入」り、後続の世代によって第一世代に「問いかけがなされる代わりに、声高に咎めたてられた」のです*12。ところが、アスマンによればこのような分断は文学を通して決着を見るようになります。

一九七〇年代以降、ドイツの戦後社会を象徴する世代間の関係は、文学で好まれるテーマになった。(中略)告発し、決着をつけ、イデオロギー的に確固としてナチズムの歴史から身を引き離す身振りに続いて、一九九〇年代のいわゆる家族小説では、家族の記憶、アーカイヴでの調査、歴史学を利用して、自らの家族史により深く分け入り、自分自身をこの歴史の中に位置づける試みがなされるようになった。(中略)この展開の結果、かつては政治化した断絶が世代を隔てていたのに対して、今ではナチズムの歴史を、第二と第三の世代が、家族の経歴の一部として受け入れるようになった。六八年世代の多くの作家は、親世代とできなかった対話を、文学の形式で改めて埋め合わせながら演出した。*13

これは切り捨てられて「<外在化>」されたナチズムの歴史を自らのものとして「<内在化>」する過程としても説明されます*14。そしてこのホロコーストの想起は1980年代には「人道に対する罪」として新たな位置を与えられるようになるのです*15。それは68年世代によって創始された「想起の文化」のプロジェクトによって、歴史政策をめぐる諸論争を脱イデオロギー化され、「人権」をその政治的行動における支柱としたためです*16

想起の文化への不快感

第三章では、ドイツにおける想起の文化への不快感が扱われています。その一つは、68年世代によって創始された想起の文化はユダヤ人被害者へと自己を「<同一化する>」ことによって被害者を気取っているとされたことです*17。アスマンは、たしかにユダヤ人への同一化が過剰化することによって「アイデンティティの間の差異を消してしまう」ことを指摘し、それはできないとしますが、一方で想起の文化において為されるのは「共感的に被害者と一緒に感ずる」ことで、それは「自己と他者の区別を前提とする」と指摘します*18。つまり、加害者たちがその被害者を想起することは、その歴史を忘れて同一化するのではなく、その歴史に寄り添って「新しいアイデンティティを基礎づけることが問題となっている」のです*19

東ドイツ時代の想起

第四章においては東ドイツ時代の暴力の被害者への想起について考察されています。アスマンによれば、ナチズムにおけるホロコーストの歴史が「過去の保持」という形式において想起されるのに対して、東ドイツにおける歴史は「過去の克服」という形式において想起されます*20。つまり、新しい社会統合の前提として、その「共通の未来を開くために、暴力の歴史を克服する」必要があるということです*21。それは過去と共にあろうとする「過去の保持」の形式からは区別されることから、被害者の想起はいまだに私的なものにとどまっていますが、「全ヨーロッパ的な想起に埋め込まれねばならない」とされます*22

移民社会における想起

第五章では移民社会における想起が問題とされます。ドイツに移住した移民がどのようにドイツの歴史を想起すべきかについて、歴史上の罪をドイツ人のアイデンティティに関連させることで逆説的に移民を排除する民族主義が現れることになります*23。移民社会において重要なのは、「国民国家と想起の関係を、系譜学的なものではなく、より開かれた、より多様なものにしていく」ことなのです*24

自己被害者化

第六章では「<自己被害者化>」について扱われます。過去の自己像を肯定したいという根本的な欲求から、人は自己を被害者の立場に置きやすく、そのような立場においては過去の想起において被害者に寄り添い「共感的な関係を可能にするような<懺悔の政治>を発展させる」ことは避けられてきました*25。アスマンは、想起が「根本的にパースペクティブに縛られており」、またそれが感情的にだけでなく、「記憶の枠組みが及ぼす規範的圧力」によっても要請されることを指摘します*26。ですが、「想起のプロセスで作用しているこの排除の欲望を、反省に引き込み」、その欲望を「相互の承認と交渉による決着という意識的形式に移すこと」が重要なのであり、その際に目指されるのは「記憶の枠組み」を置き換えることではなく、「拡張する」ことだといいます*27

ここで、アスマンは自己を被害者化する競争を乗り越える三つのモデルを提示しています。第一には「包括的な被害者のカテゴリー」とよばれるもので、これは「被害者の概念」を画一化し、その差異をなくしていくものです*28。つまり、戦争においては加害側であっても戦死した場合には「戦争の被害者」として「被害者に対する公平性を説くこと」がなされており、アスマンはこれを「被害者に同一化した想起と、被害者に寄り添う想起の重要な区別を容易に消す」ものとして批判しています*29。第二には、マイケル・ロスバーグが導入した「<マルチディレクショナル・メモリー>」という概念です。これは想起を「ナショナルな次元からトランスナショナルな次元」に移す方法であり、「想起の対立から、想起の並立」へ、「被害者の思い出を結び合わせる」ための概念です*30。実際にはホロコーストの想起がその他の想起と結びあわされてきたように、ロスバーグが強調するのは、「ホロコーストが得意であるというテーゼ」が他の想起との被害者競争だけを意味するのではなく、その類似点を発見することが「さまざまな想起の接続可能性」を意味するということです。第三は、アスマンの提起する「<対話的想起>」の概念であり、これは第七章において扱われます。

対話的想起

第七章では戦後の想起に対する段階が四つのモデルに区分されて議論されています。戦後の想起の第一のモデルは「対話的に忘れること」として説明されます。クリスティアン・マイアーを参照して第一次世界大戦が例に挙げられており、この戦争をドイツ人ははっきりと記憶していたために、「組織的に煽られた怨恨によって、不正を被っているという意識が築き上げられ、それが敵意を活発にして、ドイツ人をまっすぐ第二次世界大戦に駆り立てた」といいます*31。つまり、暴力の応酬を繰りかえさないために、忘却がその治療薬であると考えられました。しかし、それが世代間の分断につながったのはすでに説明された通りで、忘却は「万能薬ではない」のです*32

忘れることが真価を発揮するのは、とりわけ、対称的に暴力が行使されたあとか、あるいは、新たな同盟関係が築かれねばならない特別な政治的状況下です。しかし、極度の暴力が振るわれた非対称的な関係が問題となっているときには、忘れることは失敗します。ホロコーストの場合、生存者や被害者の子孫と新たな関係を取り結ぶことは、何らかの終止符を経由してではなく、その反対に、ともに想起する心構えを経由してのみ、達成できるということがわかりました*33。この段階は「決して忘れないために想起すること」として説明されます。そして、その次に示される想起のモデルは「克服するために想起すること」です。これは「和解と、社会及び国民の統合を目指して」おり、「絶対的な規範にまで高められるのではなく、その目的のための手段として用いられ」ます*34。このモデルが独裁体制などの政治体制が転換された後にその内部に起こった分裂を統合するために機能する一方で、アスマンが提起する「対話的に想起すること」のモデルは、「一国内の枠組みを超える状況に」関わり*35、それは「共通の暴力の歴史に関して被害者と加害者の位置関係を互いに承認すること」とされます*36。つまり、「相手側のトラウマ的な思い出を自分たちの記憶に受け入れることで、ナショナルな境界線に沿って画された、緊密で、統一的な記憶の構築物が破られる」のです*37。このモデルにおいては個人の記憶が、対話的に「その時々に立場が変わる加害者と被害者の関係についての、共通の歴史認識*38として再構築されることが目指されます。

感想

本書においては、想起の文化における諸問題が整理され、その不満に対する解決の糸口としてトランスナショナルな規模において「対話的想起」として共通の記憶を構築する必要性が示されています。著者の従来の研究におけるような文学の解釈ではなく社会批評として記憶論が論じられているところが特徴かと思います。読みやすい文体でした。

*1:5-6頁。

*2:15-16頁。

*3:17頁。

*4:同上。

*5:25頁。

*6:28-29頁。

*7:ニコ・ホフマン制作、フィリップ・カーデルバッハ監督。

*8:36頁。

*9:36-37頁。

*10:43頁。

*11:44-45頁。

*12:45頁。

*13:50頁。

*14:50-51頁。

*15:56頁。

*16:57頁。

*17:60-61頁。

*18:61-66頁。

*19:67頁。

*20:122頁。

*21:123頁。

*22:130頁。

*23:136頁。

*24:138頁。

*25:159頁。

*26:162頁。

*27:同上。

*28:163頁。

*29:163-165頁。

*30:189-190頁。

*31:197頁。

*32:205頁。

*33:同上。

*34:206頁。

*35:210頁。

*36:211頁。

*37:同上。

*38:214頁。