本の庭

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沖縄03

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沖縄本島の南東側にある久高島は、自転車で2時間程度で回ることができる小さな島です。

 

島の南西部にある徳仁港から上陸して目の前にある坂を上ると、なだらかな下り傾斜が北西端のはびゃーん*1という岬まで続いていて、極端にいえば久高島の断面はひらがなの「へ」の形をしています。

 

そんなこともあって、はびゃーんまでは自転車で快適に走ることができるのですが、その下り傾斜は大変に緩やかで、帰り道の自転車走行もさして苦を感じませんでした。

 

この島のなだらかさは、歩行者や自転車利用者が移動することを優しく受け容れているようです。

 

また、久高島には高くそびえる建物もなく、視覚的にもとげとげしさのない滑らかな島です。

 

それは男根主義的な高層ビルが林立する都市とは異なり、包容力のある温かな子宮の様な印象を持たせてくれます。

 

私たち観光客は、久高島の包容力の中で子宮を巡る精子の様に島を回るということなのでしょうか……。

 

さて、沖縄到着から3日目の朝、久高島目指して早朝にホテルを出発しました。

 

久高島は那覇から東側にあり、上陸するには本島南東にある南城市の安座間港からフェリーに乗ります。

 

安座間港の近くには斎場御嶽(せいふぁーうたき)と呼ばれる琉球開闢にまつわる聖地がありますが、これはじつは久高島とも強く関係しています。

 

斎場御嶽についてはまた別にまとめることにして、ここでは久高島の散策についてをまとめます。

 

その前にまず久高島について調べたことをまとめると、久高島は琉球開闢にまつわる神話に関係があります。

 

琉球の信仰においては生命の源であるニライカナイという異界がはるか東方の彼方の海の底あるいは地の底にあるといわれていて、琉球開闢の祖であるアマミキヨはこの久高島の東端にあるはびゃーんに降り立った(ないし上陸した)と言われています。

 

ちなみに、奄美大島の「奄美」もこのアマミキヨの名前が由来したと言われていて、この伝説はこのエリアに広く影響を持っていたということです。

 

安座間港から25分ほどフェリーに乗り、午前10時半前に久高島に上陸しました。

 

久高島の港付近にはレンタサイクル屋さんが3店舗ほどあり、その内の一つのお店に行って早速自転車を借りて時計回りに島の縁を回る想定で出発しました。

 

街の方には到る所に猫がいました。

 

人には慣れていて、近づいても「何ですか?」みたいにちらっと見てくるだけ。

 

それから、島の縁の方にある道に回り込んで道なりに走っていったんですが、島の北側は崖地になっていて、崖地の手前には植物がうっそうと茂っていました。

 

海を見ながらサイクリングというわけにもいかないものの、途中ところどころ海が見える場所もあり、お弁当を持ってきてピクニックするには良さそうでした。

 

時折そのうっそうとした茂みの脇に標識が現われて、その場所が観光スポットであることを表示してくれていました。

 

そこで自転車を降りてうろうろする、といった具合に島を回りました。

 

たぶん、島を回るのにそれほど沢山のルートがあるわけでは無いので、他の観光客と回る方向が一緒になると、標識で停まるごとに同じ顔に出くわしました。

 

その内の一人、70代くらいのおじいさんが自転車乗って回っていました。

 

一人旅でしょうか。

 

老後にこうやって旅をするのも良いな、と思いました。

 

ところで、その島にあった神聖なスポットの多くが島の縁にあって、つまりこの島は聖域に断続的に取り囲まれていて、その隙間や内側には緩衝帯的に植物が広がっています。

 

単に海に囲まれているというよりも、その境界は聖なるものに取り囲まれていて、この島が単なる島というよりも何かに包まれているということでは、なおさら子宮的な島であることを思わせます。

 

ですが、観光客という不能な主体ではない(つまり有能な)主体として島に入ると、島は懐妊することになるのでしょうか。

 

琉球王朝にまつわる伝承なんですが、第一尚氏琉球王朝最後の王統である尚徳王は久高島参詣の時に久高島の祝女ノロ)に恋をして帰還を延ばしているうちに首里で金丸(後の尚円王)という男にクーデターを起こされて、海に身を投げたんだそうです。

 

尚徳王の有能さから誕生したのは、皮肉なことにそれを打倒した新たな第二尚氏琉球王朝ということになります。

 

というのはやや強引な解釈ですが、この王朝が薩摩の侵攻まで覇権を握っていたと考えると、その誕生の仕方がどうであれ、やはり久高島は子宮的な島だと思えます。

 

島を一周回ってから自転車を返却し、近くにあった定食屋さんの店外の席についてランチにソーキそばを食べました。

 

お店の脇にも猫がいて、飯をくれとせがまれました。

 

その猫は手を怪我していて、出血がありました。

 

ソーキそばの具で猫でも食べられそうなものが無かったんですが、そういえば以前伊良部島に行ったときにも猫がご飯をせがんできて、食べ物を持っていなかったので水だけあげたら熱心に飲んでいたことを思い出して、同じ様にお店のテーブルにあった水をあげようと思ったんですが水は飲みませんでした。

 

この水は水道水なのか分かりませんが、お店のテーブルに置いてあるボトルに入ってる水で、飲んでみたんだけど臭くて飲めたものではありませんでした。

 

猫に対する店主の態度も冷ややかで、怪我をしてる猫に対してもう少しケアをするような気持もあると良かったと思います。

 

とはいえ、子宮とは子どもの誕生のための器官であって、成長をケアするためにあるわけではないということなのでしょうか。*2

*1:またの名をカベール岬といいます。

*2:島を子宮的なものとして解釈しましたが、(古宇利島についても同様に)誤解を避けるために付記しておくと、これは沖縄が政治的に女性的だとか女性的社会だということではありません。そうではなく、器官として島が女体的なメタファーを帯びているように思われるということです。