加藤典洋『大きな字で書くこと』
岩波書店、2019年。
書籍目次
僕の本質
Ⅰ 大きな字で書くこと
斎藤くん
大きな字で書くと
井波律子さんと桑原『論語』
森本さん
日本という国はオソロシイ
船曳くん
父 その1
父 その2
父 その3
父 その4
父 番外
多田謡子さん
橋本治という人
青山 毅
中原中也 その1
中原中也 その2
中原中也 その3
ブロックさん
寺田透先生
安岡章太郎さん
はじめての座談会
カズイスチカ
久保卓也
森嶋通夫
秋野不矩さん
私のこと その1――バルバロイ
私のこと その2――東京のおばさん
私のこと その3――勇気について
私のこと その4――事故に遭う
私のこと その5――新しい要素
私のこと その6――テレビ前夜Ⅱ 水たまりの大きさで
イギリスの村上春樹
「あらーっ」という覚醒
知らない人の言葉
フラジャイルな社会の可能性
大きすぎる本への挨拶
東京五輪と原爆堂
憲法九条と「失われた三〇年」
信用格付と無明
私の「自己責任論」考
入院して考えたこと
助けられて考えること
もう一人の自分をもつこと
基本情報
本書は加藤が岩波の雑誌『図書』と信濃毎日新聞に数年に渡って寄せていた記事の集成本で、2019年に亡くなる直前に書かれた記事も所収されています。
概要
この本には加藤が父に対して抱いていた感情に関する記述があります。加藤典洋は父が起こした戦時中のことに対して批判的な態度を示していたようですが、一方で別の時には敬意のようなものを感じさせるような書き方もしていました。そこには父を乗り越えようとしていた一面と、一方ではそれでもなお父の子であろうとしていた一面があったように思われます。このように複数の自分を内に持っておくことが、この本では繰り返し書かれていて、その点で本書は加藤が晩年に書き起こした思想の集大成だったんだろうと思います。
吉本隆明
吉本隆明に関する記述では、この自分の複数化すること、その転換について示唆されています。イスラム国がテロ事件起こしていた2018年頃でそのイスラム国に惹かれる若者たちの考え方をどうやって変えることができるかというような可能性を、加藤は吉本が戦時中には天皇制ファシズムの信奉者であった一方で戦後にそうではなくなったその在り方に見ようとしているようです。その覚醒は、加藤によれば、吉本が「あらーっ!」って感じというように起こるといいます。吉本は敗戦直後に進駐軍の兵士がガムをクチャクチャと噛みながら路上で日本人女性と戯れている様子を見たときのことを回想して、「「あらーっ!」って感じ」を得たのだと書いていて、この文章について加藤は吉本がなぜ覚醒したのか、あるいはどのように覚醒したのかということよりも、覚醒したことをどのように表現したかということに着目しています。そして、加藤によれば覚醒を「気づき」とか「ひらめきく」とかではなくて「あらーっ!」と表現したことには、気づきよりも深い覚醒があるのです*1。その微妙な差異こそが、天皇制ファシズムを信奉した青年の思想の転換点だったということを加藤はおそらく考えています。*2
憲法9条
このような自分の複数化は、おそらく他者への依存によるのではなく、自立することにおいてこそ可能になるようです。加藤は憲法9条についても書いています。同時期に9条入門本も書いているので、おそらくその頃に書いていた記事なのかと思いますが、加藤はどうやら重武装中立が日本において現実的だと考えています*3。加藤の主張を読むと確かにこう重武装中立が現実的というか、日本が他国の攻撃を受けた時にアメリカが助けに来るのかというのは、ロシアのウクライナ侵攻を見ていても疑問を抱かざるを得ず、やはり米国に従属するこれまでの姿勢からは離れていく方がいいのではとも思ってしまいます。ところで、武装するというのは単に兵器をそろえればいいのではなくて軍人を育てることでもあって、主に若い世代の命を国の防衛と引き換えに差し出すことにもなるから、実際に前線に立たないであろう人々による重武装化の議論には国防を他人に押し付ける無責任さがあるような印象を受けてしまいますが、一方で非武装中立っていう考え方についても加藤は書いています。これは森嶋通夫の主張を紹介する内容ですが、国防費を非軍事の外交や国際交流、経済協力に投資して「非軍事的抑止力網」*4を築くことで日本に攻撃することがその当事国の不利益になる関係を作っていくというもので、一つの理想論ではあると思いますが、これが実現可能であれば最善の方法であると思う一方で、やっぱり現実的ではないという批判はあろうと思います。むしろそれを実現する耐え目の努力が必要なのかと思いますが。いずれにせよ、米国の支えによって立つのではなく、自立するということ、このことを加藤は重視しているようです。これは国家においてだけでなく、個人においてもいえることです。そして加藤が対米自立を考えていたことには、この国家と個人の立場を重ねていたところがあったように思えます。
2人の加藤典洋
その一方で、国家が必ずしも個人と重ならないのは、国家における複数性は容易に転換することができないからです。加藤は批評するということを人生の一部というほどにしか考えていませんでした。『敗戦後論』を書いて多くの批判を受けたにも関わらずその主張を改めることはしなかったことについて、それは「「見切り」の感覚」*5があったからだといっています。
窓の外にはチョウチョが飛んでいる。親子が公園を歩いている。もっと大事なことは、そちらにある、という感覚が、つねに私の脳裏を離れなかった*6
批評は加藤の人生を決定づける唯一の存在というわけではなかったのです。加藤は「自分のなかに二つの場所をもつこと」、「ふつう生活している場所のほかに、もう一つ、違う感情で過ごす場所をもつこと」こそが「よく生きるために必要なこと」だと書いています*7。加藤にとって、批評家であることだけでなく、それ以外の在り方を持っていることが必要だったということでしょう。そして、おそらくこの指摘は『敗戦後論』において戦後日本の憲法対する態度が「人格分裂」を起こしていると主張することにも通じています。国民の感情が分裂するということは、国家がその内に複数の場所を持つことでもありますが、日本の場合はその立場を乗り換える機会を逸しています。そしてなによりそれは国民が自分の中に一つの場所しか持っていないことに起因しているのです。個人の中にある場所が一つしかないから国家はいつまでもその感情を乗り換えられません。加藤はそれゆえに国家の人格分裂を批判したのでしょう。
感想
戦争認識における国民感情の分裂が問題なのは、それが対話を成立させないところにあります。認識が複数あり、それらが対立するから問題なのではありません。それらの対立すら引き起こされないことが問題なのです。加藤は本書を通してそのような批判をしつつ、一人の人間としての自分の生き方を書き記していたのだと思います。