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井上章一『戦時下日本の建築家 アート・キッチュ・ジャパネスク』

朝日新聞社、1995年。



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書籍目次

Ⅰ 帝冠様式
Ⅱ 戦時体制と都市空間
Ⅲ 忠霊塔
Ⅳ 大東亜の新様式

基本情報

本書は京都大学の学内報において掲載された論文等をもとに刊行された『アート・キッチュ・ジャパネスク 大東亜のポストモダン』(青土社、1987年)を改題して出版されました。

概要

第Ⅰ章では、アジア太平洋戦争以前の日本における日本趣味の建築について、軍国主義的な「日本ファシズム」の流れに全面的に組み込む言説を批判し、それがひとつの流行であったことを示すために当時の日本趣味の建築やモダニズム建築について分析しています。

第Ⅱ章では、日本の戦時下においては建築を中止し、完成させないことによって戦時体制のストイシズムを国民にアピールしたことが、ナチス・ドイツやイタリアのファシズム政権下において建築が国威を示すモニュメントとして都市の美観を形成したのに対比的に示されており、「日本ファシズム」における建築の扱いの違いが強調されています。このことからも改めて、当時の日本趣味の建築を「日本ファシズム」へと組み込む言説に対する批判が展開されます。

第Ⅲ章では、戦死者を慰霊するための忠霊塔の競技設計における大衆迎合ファシズム性が分析されています。この競技設計において、参加資格として専門性を問わなかったことからも最終的に1699点の応募があり、国民的な関心を得たとされており、これこそこの競技設計の狙いであったことが示唆されています。

第Ⅳ章では、戦時中に建築学会が開催した、大東亜共栄圏の建設を記念する施設に関する「大東亜建設記念営造計画」という競技設計が、忠霊塔の設計競技とは対照的に「「真のファシズム様式」から逃避している企画」*1であると指摘されます。一方、この設計競技で一等である「情報局賞」に選出された丹下健三による提案は、坂倉準三の忠霊塔設計案における日本回帰を受け継ぐものであり、それに続く丹下による日泰文化会館および広島平和記念公園の設計案にも引き継がれています。しかし井上によれば、この日本回帰は端的に「日本ファシズム」を迎合していたと断ずるのはいささか軽率であり、当時の脱モダニズムの文脈を無視することになることを指摘しています。つまり、「日本ファシズム」がその脱モダニズムの流れを加速していたとはいえても、それが全面的に「日本ファシズム」に加担していたわけではないとするのが井上の主張であるといえます。

感想

あとがきで井上自身が認めているように、建築が全面的に「日本ファシズム」に加担していたとする学術的な裏付けが実際に検証されているわけではなく、あくまでこの言説は世間的な通説として指摘されています。その通説を覆すことが目指された本書における議論は、挑戦的とも言えますが、通説を覆すことそのものが自己目的化しているようにも思われます。本書の元になった『アート・キッチュ・ジャパネスク 大東亜のポストモダン』の後に書かれた『美人論』においても賛否両論の大論争を巻き起こしたように、井上は本書において「通説」に挑戦的な議論をあえて展開することによって話題性を集める意図があったのではないでしょうか。あとがきで同様に書かれているのは、本書の元になった論文が書籍化後に建築界において注目されなかったことが、井上が建築を離れた理由であったということです。

そういった井上の志向はあったにせよ、本書の議論は戦前・戦時中の建築に対する戦後の態度に一石を投じる上では重要であったように思われます。他方、米山リサの『広島 記憶のポリティクス』においても本書の議論は参照されていますが、井上のこの批判的な態度は米山のような政治性に着目した議論においては十分に意図が理解されずに引用されていると思われ、話題性を追求するためのややラディカルな議論はしばしば誤読を招くことにもなることがあるのは、読み手であり書き手ともなる私たちが留意しておくべき点でもあります。

*1:201頁。